人に好かれた私は魚拓のように(人拓とでも言うべきか)人に刻まれて、中身のないまま日光に焼けて朽ちていってしまうのだろう。

 

 

私は今幸せで、数年付き合って結婚も間近じゃないかしら?と思える恋人がいて、仕事もそこそこ軌道に乗ってきて給与も伸びつつあって、そんな中でふと雨のベランダを見ながら思う。あの日あの彼に愛された私はどこに行ってしまったのだろう?

 

彼は昔の恋人でもなくて、ただの友人というほど希薄な関係でもなくて、少し依存性があって、ただほんの少し私を好いていた。私もそれが心地良くて、2人の関係性に名前を付けることは敢えてしなかった。彼にとってもその状態の方が良さそうな気がした。

高校を卒業してからというもの、めっきり共通の話題もなくなり、また、彼が県外に進学したためにそもそも顔を合わせることもしなくなった。今ではSNSのアイコンが変わったこと示す通知で思い出すくらいの関係性だ。

 

少しからかって彼に問いたことがあった。

「私のどこが好きなの?」

彼は少しニヤつきながら唸り出し、「難しいよそんなの」と呟いた。私は意地悪だから答えを執拗に求めた。彼は結局何にも言わなかった。

ただ真っ直ぐ私を見つめながら、「きっとわからないよ」と寂しそうに言うだけだった。私が延々と首を縦に振らないことを責めずに、ただ彼一人で悲しい表情を浮かべていた。

 

昔のことに想いを馳せながら煙草を吸っていると、いつも以上にメランコリックな気持ちになってしまう。ああ彼は今も元気にしているのかな。

もし私が彼と付き合っていたら、こういう風に想い返すことさえ無かったのだろうと思う。そういう点では彼は私より一枚上手で、私は遊んだつもりで遊ばれていたのかもしれない。明確な別れがある方が、整理がついて忘れてしまうから。

 

 

彼に好かれた私は今更実在してもないのに、こうしてたまに燻ってしまう。私が意図的に刻んだわけでもないのに、確かにあったものとして何かが残ってしまう。

彼にとってはもう無い想い出かもしれないのに。

 

指先が熱くなってきて寿命を感じ、煙草を吸殻にしてしまった。真っ直ぐ天井に向かって煙が登っていく。それを少し肺に取り込んでしまって、すこし噎せてしまう。苦しくはなかった。

ベランダから見える景色はあいも変わらずどんよりと暗く、密集して、酸素がないように感じられる。私は顔を上に向けて、口をパクパクと広げ金魚の真似をした。