心臓がドキドキして仕方なくなって、朝なのか夜なのかわからなくなる。
今日で終わりと思ったりもするし、始まりの第一歩だと思ったりもする。
自分にとっての試練と人にとっての試練は違うから、よくわからなくなる。何が正しくて、何が間違ってるのか。一回自分で決断しても「もしかして」なんて考えてしまう。そんなことの繰り返しだと思う。
共感するもしないも人の自由だけれど、わたしにとっては大きな壁で、希望の光で、地獄の門だった。
今までのゴールはこれからのスタートで、これからは終着点がおよそ暫く見当たらない。そのことを次第に悟っていた。上手くいってもいかなくても、これからは言い訳せずに突き進まなきゃいけない。
自分が一番楽しいと思えることを選ぶべきだ。人のせいになんて出来ないから。それが一番自分の中で確からしいから。最終的に自分を支えて、守れて、暖めることのできる存在は自分しかないから。
鉛筆をカッターで削るときみたいな、背筋がピンとする感じを数ヶ月、数年続けることはとても労力を必要とするものだ。
だから、最後の最後で気を抜いて指を怪我するだなんてするのは勿体ない。完成してから「やっぱり無様だったね」と笑ってほしい。その時はわたしとか周りの人間が一緒にいてあげるから。
あまり偉いことは言えないし、私自身苦い思い出だから大きな声では言いたくないと思う。実際、このことを文章にしていいものか少し悩んだ。
でもよくわたしの文章を読んでくれる人間は、わたしのそういう不恰好なものを見て共感したり救われたりするらしい。自分自身でする評価よりも周りからされる評価の方が、案外澄んでいるのかもしれない。
大抵今は泥の中で、消えてしまいたくなっていると思うのだけど、自分の光らせ方なんてたった数日でわかるわけはないから焦らなくて良い。
でも「無理だから」って最後の最後で諦めてしまったら実るものも実らない。
置かれた状況で常により良い選択をすることを考えてくれればいいと思う。
頑張る人間をわたしは応援するし、努力が実ればいいなと祈っている。
「わたしが祈ってるんだから大丈夫だよ!」と言える存在になれたらよかったのだけど、そんなことは絶対無理だった。申し訳ない!
宗教的な意味で神様仏様は信じたことはないけれど、信じる気持ちって大事だと思う。
最初にその道を選んだ時の気持ちをもう一度思い出しながら、ゆっくりカッターを鉛筆の先へあてがう。