数学と妖精

生活に手を抜いているわけではないけれど、今まで出来ていたことが上手く出来なくなっていることが多々ある。態となのかそうでないのかはわからないけれど、お金が絡むこととか必要最低限の気遣いしか出来なくなっている。良くないね、と呟くとただただ同意されるので理解者はいないのだなあと寂しくなる。ほぼ毎回泣きながらバイトに向かうのに、これは周りから精一杯に見えないらしい。人になるのは厳しい。

 

小さい頃公文を習っていて、月曜日と木曜日は帰宅途中に教室に通っていた。始めた理由は仲が良い友達がやっていたからというものだったけれど、やればやるだけ自分のレベルが上がっていくのが楽しかったし、自分の強みを見つけられた気がして嬉しかった。

ピアノやバレエに憧れて「習いたい」と言ったこともあるけれど「どうせ続かないでしょう」と一蹴されてしまった。実際そうだったかもしれないけれど、今になっても覚えているのだから心からやりたかったのだと思う。ただこういうものは発表会やらなんやらでお金がかかるし、断る母の気持ちもわかるから一方的に責めることはできない。

公文で数学を習うことは高校受験大学受験に繋がるからかポンポンと話が進んでしまった。習い事は初めてだったので嬉しかった。連帯して姉や弟も習わせられたのは非常に謎だったけれど、自分がしたいことができたから良いやと思った。

 

公文で出される宿題は学校の何歩先を進んでいて、未知で、とても魅力的だった。周りの友達に「難しいことやってるね、ゆいちゃん頭いい!」と言われるのも嬉しかった。あまり親に褒められた思い出はないけれど、学習到達カレンダーというような名前の、教室に貼られたポスターにあるわたしの名前がどんどん進んだアルファベットになるのが嬉しかった。

狭い教室で順番待ちをするための椅子に座りながら、星の王子さまに出会ったのも良い思い出だ。宮沢賢治なんかも読んだ気がする。

頑張れば頑張るほど分厚くなっていく自分のファイルが誇らしかった。

 

いつからか公文が嫌になった。確かわたしが中2くらいの話で、理由といえば「書いている意味がわからなくなってしまった」からだったと思う。

ファンタジーで大人になったら妖精と話ができないみたいなありがちの設定みたいに、中学に入ってめっきり数学ができなくなってしまった。

今となったら些細な疑問を取り除かないまま強引に進んだ報いだとわかるのだけれど、当時は何故こうなったのか、いつからなのか、全くわからなくて困ってしまった。今振り返って当時のプリントを見ると見事に積分で、確かに躓いて仕方ないのかもしれないなと思う。それでも当時はそれなりに悲しかった。

2時間くらい、白紙のプリントと答えの冊子を見つめて、解けないまま帰されることが多くなった。

 

 

今、数学から、勉強から離れている自分を思うと、どうしても小学生の頃の自分が思い浮かぶ。今もまだ呪いは解けない。

積み重ねることは難しいんだと思う。