もしものはなし

 

「浪人して◯◯にいくなら現役で行けばよかったじゃん」という言葉をたまに聴くけれど、それは一般的に正しいのか。

 

恐らくその台詞は私にも当てはまるんだと思う。実際に受けたわけでは無いので現役で受かることができたとは言わないけれど、偏差値的には現役でも可能だった大学ではある。

それでもこの大学を選んだのは私だし、あの状況では最善のものを選んだとは思っている。

 

過去のことを話すのはあまり得意では無いのであまり文章に残したことがないと思うけれど、私はそもそも医療の道に進みたかった。

理由としては人に直接感謝される仕事の方が頑張って働くことができると思うので、人の命を救うことを途中で放棄しないだろうと思ったから。あとは頭痛を訴え続けズル休みをしていたら病院に連れていかれて、その時にMRIの装置そのものに魅力を感じ、いじってみたいと思ったから。それと勉強を頑張っているからこそ就ける職業な感じがして、自分の努力を反映させられると思ったから。

その夢を途中で辞めちゃったのは、医療からは引き離せない「死」という存在の重さを知ってしまったから。あとは医療系志望の人に理由を聞くたびに安定とか収入とかお金の話が大半だったから。それと単純に、本当に行きたいところに時間内では届かなかったから。

 

小学生の頃からずっと漠然と医療の道にはいるんだろうと思っていたから、夢が 目標が無くなった瞬間は本当にどうしようかと思った。

多趣味な人間では無かったし、柔軟性があるわけでも無かった。夢がない人間を小馬鹿にしていたくらいだったから、そんな状況に陥った自分に少し落胆していた。

 

親は私の存在自体に落胆していたし、私は私自身で何か期待してあげなきゃいけないと思った。だから、今まで全く踏み込んでこなかったところに足を伸ばすべきだと思った。

勉強してきた科目的には理系だったけれど、面白いと思える分野は文学とか、やっぱりちょっと純粋芸術的なものだった。お金とか、そういう現実的なものから離れたもの。私自身、偏差値とかランクとかリアルに迫ってくるものに耐えられなかったのかもしれない。でもだからこそ、そういう感覚的で数字で推し量り難いものに魅力を感じられるようになれた。

 

もしもの世界で京都の夢を見ることはやっぱりあるけれど、現実世界ではやっぱり最善の選択をしたんじゃないかなと思う。この最善の選択ができるような頭になるためには空白の1年が必要だった。賢い人は現役で諦めとか決断とか自分を前に突き進ませる何かを得られるのかもしれないけれど、少なくともわたしには無理だった。

 

どんな進路に進みたいかなんて、やっぱり感情的なものが大きいのだから、当事者じゃないと「現役で〜」なんて言えないと思う。みんな同じ環境でみんな同じ学力でみんな同じ感情なら別かもしれないけれど。

にんげんむずかしいね。