現実、大人になるには

一昨日は修士2年の人とご飯に行った。

他大学の人と関われるだけでも恵まれてると思うけれど、私よりちょっと先取りして人生を経験している人と話す機会はこれからの私の人生の指針となるし、勉強になる。

 

学問とか将来とかそういったことを延々と話していたのだけど、全然先のようでもう直ぐ迫っているのだと痛感した。

大学生も後半になるとその時付き合っている人との将来を嫌でも考えるのが普通なのだという。(私はまだ後半に差し掛かっていないのであまり危機感というものはわからない)

学部で就職するにしても、修士で就職するにしても、2人のその後の進路がどうなるか、大学のある土地で就職するのか、関東・関西などの栄えてる場所で就職するのか、よく転勤する会社に就くのか、修士だけじゃ足りなくなって博士に手を伸ばすのか。2人の世界が重ならないと、やっぱり上手くは続かないらしい。

中高の恋愛と違って大学以降の恋愛は結婚とかそういった契約の相手を見つける意味が強いと思う。私自身はまだノリで付き合ったり別れたりしているから憶測なのだけど。

 

結婚相手を見つけるというような意味で恋愛をするのは良いのかもしれないけれど、「もしかしてこの人を逃すとこれ以降付き合えないのかも」とかいう些細な不安に呪縛される恋愛って凄く汚らしくないかなあ…それならハナから契約結婚みたいな方が綺麗だと思う。

「貴方に振られて、私はどうしたらいいの?」なんて言い出す女の子にはなりたくないなあと思う。相手の存在が自分の中の自分より大きくなったら、それって私は相手に殺されたことになるし、そんな暴力的な愛なら一切要らないなあと思う。利害の一致みたいな、契約的な恋愛でいいなと思う。愛だとか恋だとかに疲れたのかもしれない。

 

そんな不定形で曖昧で脆い感情に左右されるよりも、人間として尊敬できると思える相手と一緒にいたい。そういった意味で研究者を養いたいと言っている気がする。

 

最近研究者を養いたいという感情について、暇さえあれば分析している。というのも私の将来に関わるし、一時のときめきに流されないように確固とした意志を持ちたいからだと思う。石橋を叩きまくっている。

 

自慢ではないけれど一瞬のときめきだとか運命だとか、少女漫画じみた第6感で無駄に恋愛経験を豊富にしてきたという自負はあるので、流石に落ち着きたいんだ。あ、もしかしてこれが大学生後半に差し掛かると将来を見据え始めるという現象なのかしら。

大人になるっていやだなあ。