チョコを渡す日

人間の好意って恐ろしいなと思う。

極身近に好きな人がいるのだけれど、身近すぎるし関係を壊すのが怖い等々の理由で一切感情を表に出してない人がいる。恐らくその人のことは誰にも話していない。言ったところでどうもならないし、私ごときで相手をどうこうしたくない。だからきっとこれからも相手に何も告げないまま、良い友達でいるだろうと思う。

それでも相手が私以外の友人と仲良くやっているのを見ると絶望するし、どうにも救いようがない。かと言って「告白された」だとかそういう話を聞くと「あいつには出来てなんで私は出来ないのか!」と悲しくなる。感情があっちこっちに分散してしまって、どうも収集がつかなくて恐ろしい。

そんな爆弾を抱えながら並行して真っ当な恋愛も味わうのだけれど、自分の感情がボロボロ崩れ始めると恋も終わってしまう。みんなきっと私の表面が好きで、中まで味わうとくどくなってしまうのだと思う。寂しい。

好きな人がいるのに恋人を作るのはどうなのかというのは、マリアナ海溝より深ーい事情があるので突っ込まれても何も出来ないよ。

私は多分ちょっとおかしい。おかしいなと自覚しているから口に出さないけれどちょっとおかしい。女の子はズボンを履いてもいいのに男の子がスカートを履いたら後ろ指刺されるのは何故?

 

 チョコレートを好きな人に渡すというのが慣例となってしまった日本で、この日を1人で過ごすというのは思っていたよりも心に刺さるなあと思う。

恐らくきっと最初から何も約束もせず何も計画もせずいたのなら何も思わなかったのだろうけど、年が明けてずっと考えていたのだからこんなにショックを受けていても仕方ないと思う。

上書きしてなんとかこの気持ちを誤魔化せないかと思ったけれど、ふとした瞬間に悲しさが溢れてどうしようもない。そんなことで胃痛が再来した。

私だって幸せに生きたいよ。でもそれ以上にしんどい気持ちが強い。また呼吸が浅くなる。相手にとっては綺麗に終わったのかもしれないけど、私にとっては汚くて不恰好で不衛生に感じる。嫌いになりたくないから最後も綺麗でいたかった。

人を安易に嫌いになりたくないから私は人を恨んだり、したくないんだけど、優しく生きてるからといって周りに優しくされるとは限らないんだよなあ。

ダメならダメなとこを言ってくれればいいのに、言葉で伝えられない察しろってそれは赤ちゃんだよ。阿呆。

私の知らないところで小さくしあわせになっててくれ、私はもっとおおきいしあわせを手に入れます。