パンケーキ上の空論

パンケーキ、ふわふわトロトロのものって火が通ってなさ過ぎて不安になるのは私だけでしょうか。ホットケーキを作る最中のドロドロした甘い小麦粉の液体を舐めているような気分になる。

今日は久々にシンプルな(チョコとかイチゴとかでごまかされていない)パンケーキを食べた。というか飲んだ。胃が本調子ではないので食べ終わった後もお腹いっぱいというより胸がいっぱいだったけれど美味しかった。明日はスイーツビュッフェに行こうと思う。胃の痛み、収まって。

 

今日は思想の話をした。他人の態度がどうとか、他人の何が気持ちいいか、気持ち悪いか。私はあまり他人からの目を気にしなくなったけれど、相手は他者と自分の線引きが完遂してないらしくて辛そうであった。私はもう少し他者を気にかけたほうがいい。

「他者の前で完璧に素でいるって無理じゃない?」ということで私はどんどん話していった。そもそも私の素とは。完璧に素で居られる人はよっぽどの阿呆か天才肌か何かだと思う。1人でいても私は思考をしているから、自分に自分を良く見せようと謎に頑張ってしまっている部分がある。だから絶対自分が完全に素でいるなんて無理だと思う。

他者が加わると尚更。そもそも素でいることが褒められるべきこととは思えない。素だからお腹が空いたら「お腹が空いた」と言う。そうしたら他者に「それは我儘だ」と叱咤される。それで少し嫌な気持ちになる。そんなことが起こるくらいなら素でいなくて良いじゃないか。相手を思って素は封印する、それこそ愛だとさえ言える。

素じゃないから疲れる、というのは本人の怠慢だと思うし、何にせよ互いが丁度いい立ち位置に居られればそれはより良い接し方だと思う。人によっては素に近い方が良いだろうし、人によっては素から遠い方が適している。そんな感じじゃないかしら。相手が勝手に「あなたはこういう人だから期待に応えられないし…」なんて言うのは御門違いじゃないかしら。本人にとってはその距離感が愛おしいのかもしれないし、定型って無い。

人間ってみんな別々の形をしているから面白いのであって、みんな同じ思想ならそれは人間じゃないよね。

 

人間が人間であるためには十分思考しなくちゃいけない。人間という肩書きに身を任せてしまったらヒトであると思う。

考えるのは人間としての義務だし、義務すら果たしてくれない人のことでウンウン考えるのは時間の無駄かなって私は思いました。私はわたしで生きていかなきゃ。