一神教

昔の下書きを掘り起こした。

 

この頃の自分には好きな人がいたらしい。飛行機に乗ってでしか会えない距離の、尊い存在。好きというのも烏滸がましいような気がする。その気持ちも今では形を変えているのだけど、色はあせず、自分の心の中ピカピカ光って止まない。わたしの中でいつまでも光り続けている。

 

 

「今までの彼氏は、皆んな私のことを大好きで私が彼らの1番であった。(もちろん例外はある)

だからこそ今回みたいに、態々私が相手に合わせるような付き合い方は新鮮だし、本音を言うと底なしに不安が募る。

 

私たちがこういう関係になる遥か前から、私は彼のことを何故か無条件に尊敬していた。

私が行きたかった大学に通っていたからかもしれないし、彼の持つ雰囲気が素直に好きだったのかもしれない。

付かず離れず仲良くしていきたいと思っていたから、何故今彼の視界に入っているのか謎で、なんだかくすぐったかった。

 

彼は口下手で、私に何も愛を囁いてくれないけれど、会ったら全身から愛を感じる。

私はこの神様を崇拝するしかない。」

 

 

昔に紡いだ言葉が、何故かしっくりとくるのはこのことが自分を形成したからだと思う。今思えば相手はまともにわたしと同じ高さから物事を考えてくれるような人間では無かったし、彼の賢さに誤魔化されているだけだった。

それでも今も「良い言葉の塊」に見えるし、もっともっと輝き始めた時から熱心に磨いていればよかったと思う。

 

当時彼はわたしの神様だった。

だけど、今は神様がいるとは思わない。無心教になってしまった。

 

あの頃は無垢な気持ちがあったからこそ、輝きを純粋に追いかけ続けることができた気がする。今を嘆いてるわけでは無く、昔には昔の良さがあるんだと思った。

 

 

今のわたしには神様なんかいらないと思う。何かにすがって、祈って生きることはしないと思う。何者でもない、概念的な神様を恨んだり感謝したりすることはあるかもしれないけれど、誰かを神様に当てはめて盲目的になることなんか無いと思う。

わたしには目がある。自分で進むための足もある。考えるための脳もあるし、自分で責任を負うくらいの年齢にだってなってしまった。

 

良くも悪くも、わたしの世界に神様が浸け入る隙なんてないのだ。

わたしは過去に得たたくさんの宝石を抱えて、たまに磨いたりして生きるほかないんだと思う。公園の砂場にたまに散らばっている綺麗な色の石を見つけることは、幼い子供にしかできない特権らしい。