不安と不調

 

昨年は頑張りすぎないように過ごしていたからか、そんなに疲弊することがなかったような気がするのだけれど、今年に入ってなんだか少しずつ憂鬱が溜まって自分で自分の調子を整えるのが難しくなったような気がする。

一昨年起こったみたいな息苦しさや目眩や微熱を抱えて生きている。昨年があまりにも調子が良かったから、その反動なのかなと思うと納得いくので何も不満はないのだけれど。最後の最後でこう躓くのが、自分らしくて、すごく情けない。

 

2月には大学の卒業制作展が行われたのだけれど、大学付近と、札幌との2会場で行うはずだったものが、感染拡大の影響を受けて大学付近のみになってしまった。やっぱり札幌の会場の方が人が集まるし、会期も長いしで重要だったのだけれど、状況が状況なのでやむを得なかった。

また、卒業制作展では卒業生でシフトを組んで在廊する形をとっているのだけれど、私は前述した自律神経の乱れからくる不調のせいでそれに参加することすら叶わなかった。

自分ではいつもの微熱だなと思うのだけれど、このご時世安易に発熱を見逃してはならないというような雰囲気があるので、仕方なかった。

仕方ないとは思うけれど、本当にこれで卒業なのか、よくわからないまま時間が過ぎている。

 

 

たしかに卒業して人生が終わるわけではないから、こんなことで安易に心を壊して休まなきゃならない状況になるよりは、タスクが減った現状はすごく好ましいのだろう。実際少し安堵した自分がいるのも事実だ。

でもやっぱりどこかで悲しく思う自分がいるのも本当だ。

 

一生懸命をすると死んでしまうだろうから、恐らく死ぬまでこんな感じで一生過ごすのだろうなと思う。一生止まらずに生きていたいのに、自分の身体と心はそれに耐えうる強度がないらしい。悲しい。

 

情けないのは自分よりも2個下(つまりは弟と同じ年齢)の人間が頑張っているのを横目に休まなきゃならないこと。本当に申し訳ないやらなんやらで死にたくなるけれど、開き直って生きるしかないなと思って布団に包まっている。

可愛いから許して~と思うけれど、果たしてその免罪符を私が所持しているのかは謎。今まで地味にいろいろ作業してきたから可愛くなくても許してほしいな。誰に許されたいのかよくわからないけど。

 

そんな感じで個人的にはガタがきていますが一通り卒業要件は揃ったので、私の人生・大学編は幕を閉じました。

卒業式の日をあまり把握してなくて予定を入れてしまったのですが、(コロナが多少でも落ち着いていれば)3月は人生最後の春休み編として京都に帰りたいと思います。

多分ね、心の不調は京都に行けば治ると思うんだよ。

感染者数がえげつないことになっているけれど、何となく許されるくらいには落ち着いているといいな…行けなければ(精神的に)死にます。

全ての道が京都に通じていますように。