汚いもの諸々

 

3月10日。某K大の合格発表日だった。

私がかれこれ3年ほど仲良くしている彼は、3度目の正直とならなかった。前線を遠のいて1年が経つのに未だにどういう気持ちで喜んであげれば良いのかわからなかったから、彼の不合格にホッとしてしまった。人間としてあまり良くない状況だ。

本来は私の妹も発表されるはずだったのだけれど、妹は家庭の事情で来年に繰り越したそうなので、タイムリミットまであと1年。流石に妹の合格すら喜べなかったらどうしようかと思うので、私は私ではやく軌道に乗せねばと思う。

 

去年までの私は「取り敢えず大学に受かれば幸せになれる」と信じ込んでいたけれど、実際大学に行くと、ひたすら地に足がつかない沼に落とされたような気持ちになった。何をすれば正しいのか、高校以上に不明瞭。今までは取り敢えず勉強をしていれば褒められたのに、大学でできた友達からは「大学に入ったのに遊んでいなさすぎじゃない?」と言われたりもする。大学は何をするための場所だろう。義務教育から外れて3年以上経っているはずなのに、なぜ未だに義務感で勉強をしている人がいるのだろう。

こういう暗い思考は理想に追いつけなかった自分への罰なのだろうか。

 

姉から譲り受けた、如何にも6・3・3で12年使うように考えられた机の上に化粧に使う卓上の鏡を置いて、ぼんやり、疲れた顔を覗いた。2年前よりもやはり、確実に老け込んでいる。生気も無くなった。

あまり公では言えないけれど、実はこの2年間で4、50回は人を殺していたのだ。周りの人はそんなこと一切知らない。単純に受験勉強の気苦労やらでそうなったのだと思っているだろう。そんな綺麗なものではない。

初めて人を殺したのは2016年の5月くらいだったと思う。昨年度受けた試験の開示が始まって、その開示を見せなさいと要求されて、見せたら「これは本当に真面目に受けたのか」と言われ、それでもなんでも行きたかったから受けたのだと言うと殴られたかくらいに酷い言葉を浴びせられ、そのまま、勢いで。

だってそうじゃない、私は2年半もの間頑張って死にそうになってそれでも1人でやっていって、何も支えになろうともしなかったのに。そうやって放任されていたのに、今更なにやってきたんだというのは、あんまりだと思った。

それからもいじめやDVのように暴言を繰り返されたから、私もその度に殺すことにした。初めから期待しちゃいけなかったんだと、殺してから思う。

今は何も怒られることはしていないつもりだけど、未だに目を合わせて話すことは出来ないし、一緒にいるとご飯は美味しくないし、変な汗をかく。きっと多分、これからもずっとそうなんだと思う。これからも何度も想像の中で殺して、私は私の怒りや悲しみを鎮めるのだと思う。

 

実は今日は、本人も知らずのうちに殺されている人の誕生日でもあったりした。