緩やかな死、静かな生

お酒飲んだり煙草を吸ったり、身体に悪いものを大人になると摂取してもいいようになる。

緩やかな自殺。

 

未成年がお酒を飲むと、周りの成人が怒られる。責任を取るのは大人。あまりにも無責任じゃないだろうか。

 

二階に上るとタバコの匂いがふわりと漂う。多分あの人やこの人が吸ったのだろうと、脳裏に顔を思い浮かべる。煙草とお酒。未成年の時は好きな人が嗜んでいるのを見て憧れたけれど、今になるとあまりなんとも思わないな。疲れたら飲みたくなったり、一定周期で吸いたくなったり、新たに時間に制約を作るのはデメリットしか感じなかった。

誰もいない部屋で一人、床に寝そべる。一階の人たちはみんな夢の中だし、私はこの世に一人になった気がした。そんな中で部屋に染み付く煙草の匂いだけが、生きた人間の心地がした。

 

なんとか無事に会合は終了したし、心を裂くような不満は聞かなかったし、いろんな人と話せたし、私は頑張ったんじゃないだろうか?

仕事にいっぱいいっぱいでお腹も減って、そのせいで身体が冷たくって、しかもかれこれ二十時間は稼働しっぱなしで、なんだか酷く貧しくなった気持ちだった。この一日弱で「すみません」と「ごめんなさい」とお辞儀をするのが上手くなった。何もしたくないけれど、何もすることはなくて、あとはただただ何も起こらないまま三時間が経てば良いだけだった。

 

本当は私が寝ずに会館の見張りをする必要は何もないと思うのだけれど、他の人が誰も起きていないところで寝るのは違うと思った。これは多分私の仕事だ。

 

これって何かに似てるな、と思いながら、机の上の散らばったラムネ菓子を端から丁寧に摘んでいく。先程煙草の匂いが充満した二階で寝そべっていたからか、衣服や髪の先からその匂いがした気がする。

そうだった、おじいちゃんの葬儀の時の、線香を絶やさず一日を過ごす時のそれに似ている。あの時はおじいちゃんの実の娘である母が寝ずの番をしていた。私は母の苦労を知らずに早々に寝てしまった。今の状況はそういう感じだ。

誰かがやらなきゃならないけれど、誰の責任というわけでもなくて、暗黙の了解とか神の気まぐれとかなんかで決まった一人だけが深夜から朝の時間を守らなきゃならない。

実際寝ても怒られはしないし、誰かのために起きていなきゃならないわけではない。

 

未成年が煙草やお酒を禁止されているように、私はその時間寝ることはしなかった。誰のためでもなく、恐らくは自分のために。