母校の近くに伏見稲荷があった。
学校祭運営に携わっていたということもあって、学校祭成功を祈りに数回お参りしたことがある。
そのこともあって伏見稲荷大社に行くのは他の人よりもちょっと意味があったと思う。
今まで京都に何回か行ったけれど、伏見稲荷大社に行くことは無かった。理由としては伏見稲荷大社の周りにめぼしい観光地等が無かったし、伏見稲荷大社の為だけに行くのは少し贅沢すぎると思ったからだ。
私も綺麗なものは好きだし、連続する鳥居には惹かれるものがある。だけれどそんなことだけのために行く人間はちょっとどうなの と思うし、行ったら自分もそういう人間に見えてしまうんじゃないかと思うと行く気にはあまりなれなかった。
今回は京都を観光するぞ!という目的で京都に赴いたので、ちょっとくらいの自分の我儘は押し殺した。
騙されたつもりで伏見稲荷大社に赴く。
まあ私はミーハーなので、the観光地といった雰囲気に普通にテンションが上がった。安易。あ〜良くない。
だけれど伏見稲荷大社の敷地に入ってから、着物女子の多さ、セルカ棒、道の真ん中に溜まる外国人に閉口してしまった。
私はこんな大衆に混ざりにきたのだろうか?
札幌の地下歩道をスイスイ歩くかの如く登りました!キラキラ女子は高校の頃のトラウマでどうしても好きになれないのです。トラウマになったのに相手はヌクヌク生きている、この世は不平等です。着物女子を横目に私の精神はすり減っていきました。
同行人が京都の南を一望できるここのあたりまでは行くべき!と言うのでそこは山登りをしました。8ホールマーチンでよかった。9cmヒールのサロメを履いていたら修行過ぎたと思います。
登れば登るほど着物女子が消えていく。オシャレ女子が消えていく。爽快この上無い!
私が伏見稲荷大社に行く足が重かったのは、本当に他者によるものだったのだなと思いました。周りを気にし過ぎるのが本当に良く無い。着物女子が悪いわけじゃ無いんだけど、私の過去を確実に抉るからダメだ。
登った途中で食べたイチゴソフトは、そんな憂いが晴れたこともあって格別だった。あの休憩処にいた人はみんな愛せた。ここまで登ってきたのは本物だね!といったお気持ち。
途中女児にソフトクリームを狙われてちょっと戸惑った。
何となくといったものに縛られて今まで行けてなかったわけだけれど、やっぱり行動しないでウダウダするより、行動してから後悔した方が気持ちいいのだろうなと思う。
キラキラ女子にどうしても苦手意識を抱いてしまうのはまたいつか纏めようかなと思う。いつまでも過去のことを引きずって…と思われるかもしれないけれど、私にとっては大きな事故だったもの。