あらゆる整理

名義を変更したり解約をしたり相続の手続きをするなかで「自分のやっていることを責任持って整理すること」の重要さがわかった気がする。

 

自分は記憶できているからいろんなところに重要書類を散らばらせていてもいいし、あらゆるIDも数回打ち込めばパス出来るし書き留めなくても大丈夫!と思っていた。けれど実際問題私が急に亡くなったりしたら、そのことで大変な思いをするのは周りの人だ。

父が亡くなってからというもの、つくづく自分は一人じゃないんだということを実感させられる。良いことなんだか悪いことなんだか。

もともと希薄に生きていたのでどうしようもなくなったら死んでしまえばいいやと考えていたけれど、私が死んだら母は?姉弟は?恋人は?あとは趣味の悪い私物の処分は?なんて余計なことにまで頭が回ってしまう。取り合えず印鑑と通帳と年金手帳とかは1つにまとめようと思った。

毎月定額で払う(予定の)ものはApple musicとAmazon primeくらいかな。ここもしっかり把握しておかないと知らない間に多々請求されちゃうぞ、と気を引き締めている。

 

人間生きると持ち物が多くなって困る。今使ってる私専用の電子機器類で数えてもiPhoneにパソコン、iPad miniBluetoothのキーボードにマウスにイヤホン、電子辞書、kindleも増えた。持ち物を増やしたくはないのに増えていくから困る。その分生活は便利になるけども…。

同様に化粧品関係を数え始めるとゴミともいえるほどの数があるから、ミニマルな生活はまだまだ遠い。

 

整理と考えて昔手を付けたいろいろなコンテンツを整理し始めた。

一昨年に小説を書いて売った利益が無くなる前に振込申請をしておいた。支援含めて5000円弱になった。また何か物語を書こうと思ってもう2年が経とうとしてるのか、と思うと自分が情けなくなる。途中で手を止めた作品はいくつかあるのだけれど、形にしなくちゃ意味はない。

このブログも取り敢えず書き溜めて2年半程になるのか。文字を打っては投稿するだけで「見やすいように」「楽しんでもらえるように」とか、一切考えてはいない。そろそろ考えるべきなのか?

 

そもそも私のこのブログを読む人は何を目当てで読んでいるのだろう。私の日常を覗きたい?何か共感するところがある?突飛な考えを抱いているのを面白く眺めている?はたまた私の弱みを握ろうと日々ネトストに勤しんでいる?

私は淡々と日常を書き連ねるけれど、文字を読む人たちの顔は一切見えない。

わたしの文章はどんなものなのだろう。