胃の痛み・余波

ある程度纏まってる文章があるのだけど、日々様々なことが目まぐるしく回っていてそのことを書き留めるのに日々精一杯になっている。

 

この間友達と話した時に、もうこの歳になると「縁を切る」ということが本当に出来てしまうということが話題に上がった。

小さい頃は「絶好だ!」なんて口から出ても数日、数週間も経てば日常が戻ってきていた。縁を切るというのは表面だけで、寧ろそれを乗り越えることで結びつきが一層強くなるように感じた。(因みに私は小さい頃から上手く人を突き放したり結びつけたりが出来なかった)

だけど大学生となった今、もう関わらないという選択もできるようになってしまった。学校が変わってしまえば会おうとして会わなくてはならないし、同じ大学であっても高校の時のように狭い籠に閉じ込められることはない。本当の意味で縁が切れてしまう。

 

人と付き合うというのは小さい頃からやっているはずなのに、未だに何が正解で何が誤りなのかがはっきりとしていない。

 

一緒にいて「あ、この人が苦手だ」と思う瞬間がある。それは沈黙になった瞬間であったり、私の苦手な分野の話題を振ってきた瞬間であったり、ふいと目線をそらした瞬間であったり、飲んだ紅茶がもう冷たくなってしまっていた瞬間であったりするかもしれない。

人のことを苦手だと思うのは、仕方ないことなのだと最近知った。こういう人種は苦手だ、話す気にあまりなれない、そういうことはやっぱりざらにある。高校の時に私を嫌った子も、何かどこかで喉元に骨が引っかかったような嫌悪感を感じたのだと思う。今ならわかる。仕方ないと思う。

でもそれを態度に出すか否かが人間の違いだと思う。私は(人間が合わないとしても)冷たくされて悲しく思ったし、だから他人にもあまり同じような思いをして欲しくないなあと思う。苦手だと思っても一緒にいるときは態度には出さないようにしているし、極力不快にはさせないようにしているつもり。

 

縁を切る切らないの話をしているのは、今その裁量をしているから。

 

私は、人を嫌いになるのが嫌なのだと思う。

根っこから嫌になってしまう前にどうにか処理してしまいたいのだと思う。卑怯だけれど。私にとって大事な存在だからこそこんなに悩んでいるのだと思う。気持ち悪い。

自分の大事なものを大事だと主張するのはちょっと気持ち悪いと思う。浅はかな感じがして、なにか間抜けに見えるから。

どう生きよう。