昔の男

何も考えずに幸せを背負って阿呆面で歩いていたら、もう死んでいると思っていたかつての恋人が店先に立っている気がした。

 

そこが彼の職場で、もしかしたら今でも働いているかもしれないことはずっと思っていて、ただ今の今まで彼の働いている姿を見ることがなかったから辞めたのだとばかり思っていた。

今思えば彼だったかもしれないし彼じゃなかったかもしれない。雰囲気が似てる人というだけで彼じゃなかったかもしれない。

ただ私は一瞬で「ここを立ち去るべきだ」と思った。

 

幸せを捨てたりまでして逃走した。

吃驚して心臓が高鳴って、いやに汗をかいた。

隣にいる人間が「大丈夫?」ときくので反射的に「大丈夫」と答えたけれど、内心とても大丈夫じゃなかった。

 

彼の嫌がるシナリオは、私が幸せを背中に抱えきれないくらい携えたまま微笑み返すというものだったと思う。

私もさっきまでは思ってたのだ。あんまりな最後だったから、次に顔を見たときは酷い対応をしてやろうと。

 

ところがどうだろう。今の私は何も悪いことをしていないはずなのに尻尾を巻いて逃げてしまっている。

決して彼に屈服したわけではない。決して。

今思えば彼は年齢の割に幼稚だったし、私の些細な疑問をどうでもいいことのように扱っていたし、最後の最後まで話し合うことから逃げて、自分の正義しか認めない人間だった。

そこが可愛いところでもあったし、欠点でもあった。

 

でも私たちがうまくいかなかったのはきっと私の傲慢さが原因なんだろうと思う。

責任転嫁で彼のことを悪く言ってみようとしたりもしたけれど、実際のところ悪いのはすべて私なのだと思う。急に自信がなくなった。

 

私があの場から逃げたのは、虚栄心が根こそぎ枯れてしまったからだと思う。

最近は日々幸せだと思うことが多いのだけれど、それはやっぱり私がそう錯覚させているだけで、彼に胸を張って言えるほどの幸せなんかないのかもしれない。

 

でも本当の本当は、一時でも好きになった人が嫌がるようなことをしたくなかったのかもしれない。

私は幸せのような何かを掴んでも強かに八方美人を貫くのだなあと、なんだか自分にガッカリした。

 

 

ついさっき現像したばかりの写真の端に写る幸せを幸せだと捉えられるのはいつだろう。

 

改札を抜けたら私は振り返らないし笑わない。

コーヒーの最後の一口が異様に苦く感じられるのと同じように、人生もそうなのかなあと思った。