陽光

多分まあ多くの人は深く考えず鵜呑みにしているようなことを、わたしは赤子みたいに舐めもしないで嫌々言って拒否し続けているだけかもしれない。自分なりに考えて自分を立て直そうと努力はしているつもりだけれど、実際きちんとできている気はしない。

 

北海道では雪が降って、もう「秋」とも言えないような気配が私を包んでいる。日照時間が減ったからか、自分が1日何もしていなかったような気がしてしまう。暗くなってからやったことは結構不確実な気がしている。夜中に書いた文章は鬱々としていて陰気臭くて読めないのと同じように、夜になってからやることは実を結ばない気がしている。

ビタミンDを飲むと、こういう太陽を渇望するような気持ちが少し楽になるらしい。実際飲んだことはないので何とも言い難いけれど、その可能性に少し希望を持っている。

一応23年間ずっと北海道に住んでいるから、冬という季節は嫌いじゃない。家ではストーブをガンガンに炊いてアイスを食べるし、外に出るときは過剰にモコモコした服を着るのも「冬だ、」という気持ちになれるから好き。雪掻きはあまり得意じゃないけれど。

 

家が一軒家でよかった。2人暮らしとは言えワンフロアのアパートなんかでは母との生活が密になりすぎてうんざりしていただろうと思う。

コロナで鬱になるとかそういう話も聞いたことがあるけれど、わたしは家が広いからあまり影響がなかったんだろうなと思う。寝転ぶことも出来るし、体幹を鍛えることもできるし、家の中を歩くにしてもそこそこ動き回れるし。恵まれて生きてきたんだなあ、というような気になる。「恵まれている」の定義がよくわからないけれど。

 

以前わたしは自分の状況が恵まれていると思っていない話を先輩にした。先輩は(実際の状況は分からないけれど)自分は十分恵まれていると話していた。当時の先輩は私が目標にしているような存在だったので、わたしが間違っているんだなあと漠然と思ったりしていた。

最近になって自分がそこそこ恵まれた環境にいるんだなと理解できた気がする。特に奨学金などを借りずに大学生活を過ごしている部分で痛感した。

親の稼ぎは際立って良いものではないと思っていたけれど、私含め子供3人を奨学金なしで大学まで通わせるのは相当できた親だったんじゃないかという気さえしてくる。精神的には不自由だったけど、その点に関しては良かったんだろうな。客観視できるくらいには世の中を知ったような気がする。

 

ただ、今が恵まれているなんて思ったら停滞してしまう気がして怖い。

どこかいいところで折り合いをつけられればいいけれど。