いつ許すか

 

太宰治が「如是我聞」で書いた志賀直哉への批判のように淡々と嫌な部分を述べられるような器量が私にあればよかったのだけど、私は妙に生ぬるい人間だからふと昔を思い出して恨むに恨み切れない気持ちを抱えている。

 

故人のことを悪く言うのは良くないと世間一般では囁かれているだろう。私も死体を蹴るような行為は無意味だと思うし果てしなくどうしようもない行為だと理解している。

ただ、今まで仇のように思ってきた存在が自分の力なしに消えてしまったとしたら。私のこの怒りは、苦しみは、どこに向かえばいいのかと途方に暮れる。死して尚憎い。いっそ自分が手にかけた方が、こんなモヤモヤを抱え込まずにまっすぐ生きられたのではないかとさえ思う。

 

度々不満を零していたけれど、わたしが今も敵対視しているのは私の父のことである。

学生である以上、お金を出してもらっているのだからと自分の考えを押し殺すようなこともあった。正直奨学金なしに(浪人を経て)大学に通えたのも父あってこそだとわかっている。でも金銭面で支えてくれていたと言っても言葉で殴るような精神的苦痛は無いものにはできなかった。私がだらしなくてどうしようもなかったのが原因だとは思うけれど、「お前の辛気臭い顔が俺を怒鳴らせている」と言ったことから少しずつ嫌悪感を抱くようになってしまった。発端は私だけど、私がすべて悪いわけじゃないんだろうと思うことで自分を支えていた。

 

4月に父が死んで、苦しみから解放されたと思いながらも悲しんでいる自分がいた。

高校以前の父は私から見ても努力家で計画的で立派な大人だった。その頃の父は好きだった。50歳を少し過ぎたばかりで遺されるには若い母が泣いていたことも悲しかった。久しぶりに父の顔を見つめられた。視線が返ってくることはないから。

 

そんなことでしおらしく数か月生きていた。故人を恨むのは浅はかだ。なんだかんだ言っても父親だ。そんな言葉を反芻して反芻して、まだ多少喉に引っ掛かるような日々を過ごしていた。

父のスマートフォンのデータを抜いている途中に、私のSNSへのログインをした形跡があった。

いつだったか忘れたけれど「この人はわたしのTwitterを見てるのか?」というような発言があったのを思い出した。Twitterのアプリは入っているのに父のアカウントは見当たらなかった。3姉弟なのに恐らく私のものしか覗いている形跡がなかった。

 

小説では最後の最後で恨みは消えてハッピーエンドになったりする。さすがに私も今回の件は自分の中で絆されてしまうのだろうと思っていた。父はそこまで私のことに執着していたんだなと思うと、滑稽だし無様だし気持ち悪いなと思う。

 

いつ呪縛から解けるのだろうと思いながら生きていかなければならないのか。