わたしの耳はあまり良くないのかな、というのは中学生あたりから感じていた。
吹奏楽部に所属していたので音程を合わせるだとか微細な音の不一致により起こるうねりなんか正常には感じていたし、楽器を吹く上で不便なことはなかったと思う。(中学生が部活で吹く程度の音楽ならば可能、というくらいで、音を聴いて基準よりも高い・低いを判断するのは苦手だった。でもこれはわたしが考えるよりもっと高水準な耳が良いか否かの問題だと思う。)
わたしの友人で突発性の難聴になった子がいたので、自分は不自由ないんだということを痛感したりしていた。同じ楽器を担当していたのだけれど、わたしは彼女の方が上手いと思っていた。だからこそ、わたしが(主旋律を担当する)1stに選ばれるのは凄く恥ずかしいことのように感じていた。久しく会っていないけれど、元気かなあ。
そんな感じで音楽に対しては何不自由なくいられたのだけれど、部長である男の子と会話するのが大変だった。その男の子はなかなか低めの声で尚且つ聞き取りにくい声質だったのだと思う。顧問の先生は大学で声楽をやっていた?からか、聞き取るのに不便を感じたことはなかった。先生の方がもそもそ口先だけで話す癖があるのにね。男の声が全てダメというよりは相性が悪い声質があるという認識が正しいのだろうな。部長とは今も年1くらいで会うけれど、話すたびに聞き取れない部分を笑顔で誤魔化すことが多い。
なんでそんな聞こえ方の話をしたのかというと、某企業の説明会に伺ったときに、大会議室で「4グループそれぞれフランクに説明・質問回答をする」という苦行を強いられたからだ。去年の就活でこんな雰囲気のところはあったけれど、マスクをつけて、フェイスシールドのような衝立を立てられた状態でそれを聞き取るというのは非常に拷問だった。聞き取るのに必死で、何をいったのか理解するまでに至らなかった。聞こえない上に口の動きも見えないのだから推測に推測を重ねる。そりゃ頭がパンクするよなあと。わからなさすぎたから最終的には考えることをやめて、なんとなくみんながメモを取っているときにメモを取ったふりをした。ここで私が手を挙げて「聞こえないのでハッキリ言ってください」と言ったところで雑音まみれのこの空間でわたしは聞き取れないだろうと経験でわかっていた。情けないなあと思うけど仕方なかった。あんまり考えると泣けてしまうような気がしたので、考えるのをやめて頑張って聞き取れるように努力した。努力というのだろうかこれ…。
苦手なことがあるのは仕方がないけれど、不自由な人が正常な人間と同じくらいを望むのをよしとするのは時と場合によるのだろうな。
仕方ないけど、自分の苦手なものがはっきりするとちょっと凹んでしまう。