何度目の4月1日だろう。背筋が伸びるような、ちょっと後ろめたいような気持ちで家に居る。
就活と向き合わなきゃいけないなと思って、取り敢えず朝井リョウの「何者」を読もうと思った。思ったのはいいけれど本を開いて読む時間がうまく作れなくて、数ページで手を止めてしまった。
今はAmazonプライムを使って映画から内容を読み取ろうとしている。あんまり小説を映画で見たくはないのだけれど、菅田将暉がいるからいいかな、という気持ちになってしまった。(わたしが菅田将暉が大好きだというのはブログを読んでいる人なら察しているだろう)
いつのまにか4年生になってしまって参ってしまう。わたしが死にそうな思いで試験を受けて面接をしたのがもう3年前になるのか、まだ1年ほどしか経っていないような気がしたのに。
ずっと書きたかった論文に着手できるのは喜ばしいことだと思う。心が弱いからすぐ死にそうになるんだろうけれど、自分の「作品」が形になるのはきっと達成感に満ち溢れているだろうと思う。
3年次はあまりうまく生活ができなくて、中途半端なものしかできなかったような気がする。単位もパッとしなくて、すべてがダメで、何のために大学に行ったんだっけ?という気さえしてくる。
指導教官が単位をくれる優しい人間で救われた、一般の総合大学だったら問答無用で3年生をもう一回してたんだろうと思う。
感謝。
文字を打ちながら「何者」を見ているけど、こんな学生がワチャワチャ集まって自主的に就活するものなのか?
わたしは現時点で指導教官とちょっとだけ大学のキャリアセンターしか頼っていなかったので既についていけなくなっている。世の大学生はきちんとしているんだなあ。(わたしはそれを見てなおきちんとする気はないかもしれない、圧で死にそうになりそうだから)
定型にハマりすぎても良くないのかな、と勝手に思っている。自分がいい加減な人間だからというのもあるけれど。
わたしはわたし、あの子はあの子という気持ちで進もうと思う。
なにせ今はコロナウイルスの関係でどの企業も不景気なんだから、まともに対峙しすぎてダメージ負いすぎて死にそうになるよりはマシだよなあ。あくまで自論。くれぐれもマネしないでほしい。
わたしの周りの人たちは賢い人が多いので、学歴フィルターとか、活動実績からして参考にならなさすぎる気がする。
だけど情報あるだけましなのかなとも思う。夢物語だったとしても将来の話をするのは楽しい。
2020年度は予定調和を目指そうと思う。高すぎず低すぎず、マイペースに生きる。