いつもどおりの暮らし

後悔は今じゃもうどうにもならないから後悔なのであって、克服する方法は何もないんだと思う。どう行動していたって起きるものは起きるだろうし、していなかったことはどうせしなかった。

 

朝起きたら自分の父親が骨になっているだなんて、恐ろしくて非現実的で未知でとてつもなくおかしなことのような気がする。

でも実際に起こったことで、今更回避する方法なんてなかった。

ただでさえ世の中が暗く澱んでいるときに、極めて個人的な不幸が重なるだなんて思いもしなかったし、せめてもう5、6年後のことだろうと考えていた。私が会うことがなかった父方のおじいちゃんも60を超えてから亡くなったから。今の時代55歳で亡くなってしまうのは極めて早すぎると思う。多分昨今の新型ウイルス騒ぎがなければもっと大々的な葬儀になっていたんだろうと思うと(金銭的な意味で)少し助かった気分になるけれど。

 

確かブログにも何回か書いていたように、私は父と仲が悪かった。それはここ4年くらいのことで、もっと言えば私が浪人をしたあたりからだった。

はじめから「とりあえず北大」といった如何にも北海道な受験生になれれば良かったのだけど、私はそうなれなかった。もしそうできていれば父ともっと仲良くなることができたんだろうか。

もしも話でしかないな。

 

 

私が心を病んで、学校すらうまくいけなくなったときに指導教官と話す機会があった。

そのときに自分の父とうまくいっていない話をした。指導教官は勿論父と会ったことなんかないから一般論で話してくれたんだけど、些細な諍いは10数年経ったらきっとどうでも良くなるもんだよ、と優しく言ってくれた。私は青かったし、父のことを許すもんかと思っていたので心の中では「そんなくらいで許すもんか、私は死んでも恨んでやる」と思っていた。

実際10数年も張り合う程時間はなかった。

父にお金を盗んだ容疑をかけられたり、受験期にモラハラみたいなことをされたのは流石にお前が悪い!と糾弾できるけれど、死ぬ4日前にに進路のことについて話したときでさえ焦点を合わせて話すことができなかったことはすごく申し訳なかったし一生後悔するんだろうなと思う。

 

ちょっと前に100日後に死ぬワニが流行ったけど、実際に身の回りの人が突然亡くなるのはすごく痛ましいことだと思った。きっと作り物では表現しきれないだろうけれど。

 

朝ごはんを食べよう、部屋の換気をしよう、ちょっと出かけてこよう、そんな日常の中に当たり前に潜むから死んだことが嘘だったんじゃないかとさえ思ってしまう。

仏間が賑やかになった他はいつもどおりの暮らしを繰り返すだけ。