人間と淘汰

なんとなく座った座席のすぐ横に人が座ってしまうとか、些細なことで泡立つ自分の心を宥めて、磨いて、無かったことにすることには長けていると思う。

健常者のフリをするなんて言ったら、私のことが嫌いな人間に「お前はお前が思うほど特別に劣ってる人間じゃないし、言い訳繰り返すのは無様」と言われそうだな。黙ってて。

 

最近すごく息苦しい。どこに行っても責められるような気分になる。実際苦しいのだろうけど、何がどう苦しいのかがいまいちわからない。他人の干渉に疲弊している。

どうでも良いけど態々私に面倒くさいことをチラチラ言わないでほしいな。だれに言われたわけでもないのに愚痴ってしまう。私がわたしの敵を生んでいる。

 

SNSで態々自分が嫌いな、厳密にいうと嫌われたから嫌うことにしたような、人間を見てしまうことが習慣になりつつある。

暇そうだねって?実際そうだよ。1日の大半は自分に失望して、社会に失望する。嫌いな人間を見て自分は少しマシだって思うようにする。そのあとなんだか気持ち悪くなって、幼稚園児みたいな嗚咽を出そうと試みるけど全然再現出来なくて無様になる。

 

最近恐ろしいほど世界が優しい。飽きられたのかもしれないけれど、極端に非難したりする人が少なくなったと思う。見えないようになってしまっただけかもしれないけれど。

 

暑さからなのか多くの人が電車に飛び込んでいて、羨ましいなと思う。プールに飛び込むみたいに線路に飛び込めたら、すごく気持ちいいと思う。

プールだって、いきなりザブンと飛び込んだら怒られてしまうものだし、人身事故に対する非難も当事者にとってはそんなものなのかもなあ。気持ちいいだろうな。

私は全然泳げないからあまりプールには惹かれない。わたしにはできない。

北国の人は鬱になりやすいというけれど、暑くなって人身事故が増えるのは、暑さの中を人間として生きていけなくなってしまうからなのかしら。変化に対応できない生物は淘汰される、そういったものなのかしら。

それだったら淘汰されない私はなんなのだろうか。

 

最近分業しすぎるせいで自分の1番がわからなくなってしまった。どの自分の比重が重いのだろうとか、豆腐を舌で潰すみたいな感覚でモチャモチャ考えては忘れている。どれも同じ私だけれど、全てを生かしていくことはできないなと思う。

 

欠伸するたびに抜けてく自分の魂を深呼吸で補完する。そんな日々。