音楽史のテストがあった。
久し振りにテストというテスト。私の大学は実技系が多いし、美術だから尚更テストというものは無かったりする。
音楽史のテストは持ち込みokで、自分が今日まで書き留めてきたよくわからない紙の束を持っていった。多くはよくわからないまま書き留めていた(良くない)。
音楽専攻生以外は25%取ればいいユルフワ授業。多分普通の大学じゃ有り得ないだろうな。私の大学は結構いい加減、変に真面目すぎるよりはいいかもしれない、とは思う。そもそも芸術スポーツで食ってる先生があまりまともだとは思えない、特に芸術。わたしには出来ないなあと思うから毎日楽しい。
普通に考えて(わたしの普通が他人と違うことは今更突っ込まなくていいよね)生きていく上で必ずしも必要なわけではない芸術を真面目にやっていきてるのは正気の沙汰じゃない。面白い。私はそういった普通じゃないところが好きだし、下手に経済学部とか行くよりもタメになってると思う。わたしにはタメになってる。うん。
他分野もわたしの栄養になるし、あまり無駄だとは感じない。そういう世界もあるな、って思う。他分野だから授業自体蔑ろにするのは人間が豊かにならないと思う。画面越しで得られるのはやっぱり自分の好きな情報だけだし、勉強になると言ったらやっぱりこういった機会が1番身近だと思う。音楽史の授業態度は総じて酷かった。私自身飽きたらスマホで違うこと調べたりしてしまうのでそういうのは全然ありだと思うけれど、私語とあからさまな居眠りは先生も気持ちよく思わないだろうな〜と思う。先生だって授業したくて先生やってるわけじゃないし、それなら最低限のマナーは守るべきじゃない?どう見ても授業に参加しない生徒は相手に失礼だと思う感情を持ち合わせて無いのだろうか。
私は品がないからやるべきことをやらないで当然その程度の結果しか得られないのは阿呆みたいだなと思う。それこそ大学受験に対しての私もそうだけど。事情があるなら未だしも、なんとなくやる気がないとかやっても意味ないとかでやらないのは、どうしても肯定できない。肯定したら気持ち悪い自分も肯定することになる。阿呆が阿呆で諦めるのはダメだ。
頑張っている人の横でそういった行為をするのは最悪だと思う。素直に気持ち悪いと思う。だからといってそれ以上も以下もないけれど、そういう人はそういう程度で終わればいいなと思う自分もいる。それでも違う面では普通に仲良くしたいと思う自分もいる。
人が人のことを100%承認するって至極無理なことじゃない?それこそその人の1側面しか見れていないならあり得るけど。そういうことだなあ。私は無理だと思うから無理だと言っちゃうけど無理なことには意味があるし、それは支離滅裂で自分勝手では無いと思うから言っても何も思わない。だって無理なんだもん。
前に「ンゴ」を語尾につけるのが本当に気持ち悪くて無理という話をしたら何故か滅茶苦茶怒られたけど、でもそんなこと言っても私という1個人は「ンゴ」が無理だし気持ち悪いと思ってしまうのだから仕方なくない?「ンゴ」を使う人が気持ち悪すぎて関わりたくないという話ではなく、その単語が無理なのでそれを使った状態の人が無理。「なんで気持ち悪いというの!傷付きました!」って言われても「そういう感性の持ち主だし、あなた1個人に言ったわけじゃないしあなたが言ってても私があなたを嫌う理由にはならないんだが?」としか言えないと思う。お互い感性を押し付けるのを辞めよう。
そういう点では私が言ってたやる気がなさすぎる云々の話も私の感性だし流してくれて良いってワケ。私のいうことにはあまり意味はないや。意味を感じた人にだけ伝われば良いよ。