ルーティンワーク

春になって、雪が溶けて、札幌にもようやく花の季節がやってくるようだった。四季の中で1番短くて、それなのにとても意味ありげな季節。私が生まれた季節。私は毎年この季節を待ち遠しく思ったり怖く思ったりしている。心がとても不安定な季節。

 

Hと別れて3ヶ月になったのが自分でも信じられなかった。元々頻繁に会っていたわけでは無いから、偶々会えない期間なだけなんじゃないかとさえ思ってしまう。思えば別れたくらいで胃が痛くなったり、私も可愛い恋愛をしていたのだなあとしみじみ思う。

いつのまにか私も2年生になって、研究室に配属されて。これからは趣味だけじゃなくてきちんと足並み揃えて勉強をしないとなあ。春になって無駄に意気込んでしまったのか、私の近辺にはやりかけのことが多かった。ドイツ語のテキスト。物体のスケッチ。新入生歓迎会の準備。美術史の基礎知識付け。部活を辞めるための文言作り。部屋の中も春服と冬服が散乱して、本の塔ができている。

 

大学生になってからというもの長期の休みがあるのが実は得意では無い。空白が多すぎて何をしていいのかわからないから。

ただ前はHと会いやすくなるからとか、そういう可愛い理由で「早く春休み来い!」と思っていたりもした。実際のところ春休みが来る前に彼は去ってしまったのだけれど。

だから私の春休みは物凄く簡素で味気がなくて、伸びきったインスタントラーメンみたいだった。お腹が空いているからと、栄養も何も考えず口にする食物。でも叱る人もいないからずっとずっと偏った日々を送っていた。

 

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休みが明けてからの日々は自分が思っていたよりもスムーズに進んでいた。毎週のように出てくるゼミの課題は真面目に取り組めば消化できる量であるし、部活なんてもう行かなくて良いし、ドイツ語も物体のスケッチも地道にノルマをこなしているし、歓迎会もなんとか当日を無事に終え、バイトはある程度軌道に乗ってきたので煩わしいことも無くなった。

ただ今までよりも確実に自分というのがよくわからなくなった。お昼ご飯は大抵711のマーガリン入りレーズンパンだし、飲み物はジャスミン茶か無糖のカフェオレ。講義が無い時間やお昼休みは大抵研究室に篭って勉強。家に帰ったら、4時間半睡眠を取れるように逆算して入浴し課題に取り組む。全てがルーティン。感情というのを排除しようとする自分が垣間見れる。

 

このままではダメだと思い、全休日である金曜と土日を使って東京へと飛んだ。

何か救われるんじゃないかとか思った。何か救われなければならないと思った。

 

 

 

そんな理由で外に出られれば良いのだけど、結局は外界に出るという行為もルーティンのひとつだった。