放任と独占と

革新的なことがやりたいくせに、実際適性はじっくりコツコツ地味にやることの方があっている。アンビバレントってやつだな、人間だなあ、と思いながら今に至る。

 

予備校時代に凄く頼もしい先生がいて、私は先生のことを凄く尊敬していた。先日予備校時代をふと思い出して講師一覧を調べてみたりした。まだ講師をしていて、ちょっとホッとした。先生は毎週札幌と東京を行き来して指導していたのだけれど、現在は流石に往来しての授業はないのかしら。コロナ前後で常識が常識でなくなってしまうから、なかなか発想力が鍛えられるなと感じる。

幼稚園、小学校、中学校、高校、浪人、大学を通して、尊敬できる先生が存在するのは喜ばしいことだなあと思う。大学に至っては尊敬する先生のゼミに所属しているので、より喜ばしいと思う。(非常に頭の良い先生なので意思疎通ができなくて苦しむこともあるけれど…)

 

私は人生を通じて嫌いな人が安易に発生しなかったなと感じる。

私のことを嫌ってきた人間はもちろん私も嫌いだし、明確に嫌なことを継続してされたら嫌いになってしまうけれど、第一印象から「こいつきらいかも!」なんて思うことはない。思ったとしても、何かを察して遠巻きになるなんてことはしない。

人に対して、大きな執着がないのだと思う。好きな人はいっぱいいるけれど、執着するほど大好きな人はいないかもしれない。恋人に対しても「別れたら次を探そう!」と思うくらいには淡白。今まで費やした時間が勿体無いとか、またここまで育成しなければいけない徒労を考えると少しめんどくさいなとか、そのくらい。(恋人は欠かさず私のブログを監視しているらしいのでこれを見て少しショックを受けるのかもしれない。もしくはもう慣れて「はいはい」と見流すのかもしれない。)

一般的にメンヘラと言われるような人種と趣味嗜好は似ていると思うのだけど、自分が苦しくなるほど相手を拘束したいとは思わない。可愛い!脳天ぶちあけてキーホルダーつけるためのネジぶち込んでストラップにしたい!とは思うけれど、私以外の女で抜くな!とまでは思わない。

そう考えると束縛に関しては友人の方が思うかもしれない、私以外にも仲良い友人がいるんだとか、どんなに頑張っても1番の友人にはなれないんだろうとか。言論が一致しない。

安心しきっているか否かの問題なのだろうか。恋人以外の独占欲は浅ましく不毛だから抑えようとして、寧ろ目立ってしまっているのだろうか。