不便の麻痺

 

最近になってまともに活動をするようになったからか、雪国特有の交通の不便さが身にしみる。不便だというほど不便だと思っていないのだけれど。それというのもこの不便さがわたしにとっては当たり前だから。

私にとっては唯一の足と言っても過言でないJRの遅延とか、発売日に発売されない漫画本とか。自分がそれらを受容しているのか、はたまた諦めてしまっているのかはよくわからないけれど、言われてみれば不便かもしれないなと思うくらいで留まっている。そうなるのは最早慣例だし、そんなことで一喜一憂してられないから、そういうことを見越した上で生活をしている。致命的に不便なことは無いのだから、わざわざJRや漫画本を輸送する運送会社の人たちに腹を立てたりしない。怒っても事実は変わらないし、時間しか解決する術は無いのだろうと思うから。

 

道外に住んでいた人間はそのことを至極嫌そうに語る。「少なくともわたしが高校生の時からそうだし、みんな不便なことがあると知ったうえで先回りして行動するんだよ」と話しても「何故改善しようと思わないのか?」と腹を立てる。

JRについて、わたしが利用する電車の多くはとある豪雪地帯から出発するものが多くて、毎年災害と言っていいほどの雪が降る地域での除雪作業及び凍った電車を動かすための作業は想像を絶するほど過酷なものだと思う。加えて、JR北海道というのは札幌から新千歳空港を結ぶ路線が最も活発で、都市から離れるほど寂れ、遂には廃線になってしまうところも少なくは無い。正直豪雪に抗う設備に投資するほど余裕は無いのだと思う。

書籍について、週刊少年ジャンプなど定期的に入荷するものはある程度ルートを確保して足並みを揃えられているけれど、単行本などの不定期なものは急いで間に合わせるメリットがないので物理的にしょうがないものだと思う。週刊・月刊誌は旬を売っているのでアレコレ頑張っているんでしょうとは思うけれど、通常の書籍では真似ができないと思う。

 

わたしは「これ以上」を経験したことがないから許せるのだろうな、という気はしている。東京なんかに住んだらAmazonとかで注文した商品が次の日、或いは当日に届いてしまったりなんかして「田舎じゃ住めない!」なんて口にしたりするのだろうな。

便利なものは良いけれどあまり浸かりすぎても怖いなあと思う。だって一生今のままで生きていけるのかなんてわからない。人生は自分で選択できるとはいえ、確実なことなんて一つもないだろうから。