反省を反芻

やっていることが4年前からかわっていない。なにもできず、取り敢えずで手頃なカフェに駆け込んで、何をするでも無く電車の音を聴いていたりする。鞄に本でも入れておけばよかったな。なんらかの問題集でも良いけど。やることがなく座っているのは結構大変で、口実としてのカフェオレも自分の胃を益々痛めてしまうと感じて美味しく飲めなかった。ガムシロップの甘さを感じない。

舌にへばりつく、乳らしさと糖分が嫌に自分の口内を不快なものにしている。家を出る前に歯を磨いたはずだけれども、寝起きの粘つく唾液が今戻ってきたみたいで、一言で言うと不快だった。

 

家の中で落ち込む、というか、精神が死んだ状態で横になっているのは他者にとっても快く無いらしいので、慎ましく家を出てきたはいいけれど何せ時間の潰し方がわからない。

地元だったら(ベッドタウンという名の田舎なので)人目につかない大きな公園がゴロゴロあるけれど、徒歩30分で街まで出られてしまうこの地ではそんな都合の良い公園は無い。北大を公園としても良さそうだけれど、人目につきたくない気持ちが第一にあるので、家主が在籍している学校で寛ぐのはリスキーだ。そんな感じでなんとなくあの時と同じカフェに駆け込んで冷たすぎるエアコンに当てられている。

 

わたしが居るカフェから数十歩歩いたところには大きな本屋がある。

先日わたしが大好きな作家が著作を出したので是非とも購入したい!という気持ちがあるけれど、本日のわたしはバイトに向かえていない身なので買うのを憚ってしまう。

バイト先の上司は親のように心配してくれているので、バイト先に向かえないわたしの気持ちを多少はわかってくれているだろうと思う。いやでもこんな邪に垂れ流した気持ちを汲み取ったなら流石に呆れられてしまう気がするけれど。

しかしその本を買ったからと言って自分がすぐ読めるわけでは無い。前回の著作もそうだったけれど、なんとなく自分が本の中に溶け込んでしまいそうで怖くて読み進められない。そういうことがわかっているから、今買ったとて罪悪感しか生まなさそうな気もする。

わたしのことを本当にわかって、寄り添ってくれるような文章なんて自分でしか書けないと思う。だって他人は他人だもの。

 

最近全てどうしようもなくて何をすべきなのかが判断できない。人の顔色を窺うのが怖い。病院に行けという言葉さえ重荷になってしまってどうしようもないのだから、黙って寝てるしか無いんだろうかとも思う。

情けないな。ごめんなさい、ごめんなさいと誰に謝るわけでもなく頭で反芻している。