言葉の裏

もうこの世にいなくなってしまったのに、無意識にまだいると判断して、あとで気づいて寂しく思うことが多々ある。そのことを人に話すと「私も亡くなった祖父母のことをまだいるように思うことがある」と返されて、わたしは別に共感が欲しかったわけじゃないのだなと気付いた。

わたしにとっては勿論悲しいことであるし、周りから見ても悲劇的なのだろうことは明確だ。でも私はこの悲しみを真の意味で他人が共感できるはずもないと思っている。

 

当たり前にわたしよりも母のほうが悲しみが深いだろうと思ったから、極力母の前では悲しそうに振舞うのをやめた。比較するのもどうかと思うけれど、何しろ付き合ってきた年数が違う。元々わたしの家での立ち位置は『お調子者』だったから、それが至極一般的な選択だと思った。

母と2人で暮らすと、外出する時(一応補足しておくと人が死んだ後の手続きなので必要火急な用事です)だとか日が落ちて電気を点ける時だとか、逐一父に話しかけるのが耳につく。元々人形にも話しかけるような母なので特別おかしい行動ではないと思うけれど。それがとても悲しく思えてしまうくらいに自分は弱っているんだなあと感じる。

 

私のことをよく知る友人に、亡くなった直後愚痴というか懺悔というかをメッセージで送らせてもらった。彼女はそれに対して励ましてくれたり同調してくれていたようなのだけど、それよりなにより「わたしが何言っても無責任だね」と一言付け加えてくれたことが私にとっては幸せなことだった。

意見が個人的なものであるのをわかってはいるつもりだけど、実際問題として受け入れる容量が当時の私にはなかった。だからこそ彼女の思慮深さに救われたように感じた。

 

わたしは精神的に弱いほうなので、自分の苦しみと周りの苦しみを比較したり同等に扱うことがどれだけ残酷なことなのかはわかっているつもりだ。人には人の地獄があって、数値化することなんてできない。

自分が元気な時は「そういう考え方は他者を苦しめるかもしれない」と指摘できたのだろうと思うけれど、今はそんなことをする気力はないみたいだ。自分の中にしっとり確実に膿のようなものが溜まる。骨になってしまえば、肉ごと膿は焼かれてしまうのだろうからどうでもいいのかもしれないけれど。

 

世話しきれない爬虫類を友人に譲り、リビングは少し質素になった気がする。(魚の水槽は惰性でまだ残っているけれど)

父の会社の人間が「やることもいっぱいあるだろうけれど、どうか父を忘れずに…」と言っていたけれど、そんなこと会社の人間の方が思うべきじゃないのか?忘れたくても血が流れてる時点で私たちは忘れるなんて無理だと思った。

善意だろうけど思慮浅い言葉を向けられて、なんだか少し嫌な気分になった。あなたが思うほど私たちは悲劇を生きていないし、惨めでもない。

 

いつでも悲しみの後は怒りが込み上げてくるものだから、わたしも少しずつ日常に戻りつつあるのかもしれない。