メメント・モリミ

わたしが彼と出会ったのは小学5年生の春だったかそのくらい。初めて大人の読む文庫本に手を伸ばした。(今思えばほんとうの初めてはサン=テグジュペリ星の王子さまだった)

中村佑介の描く可愛らしい女の子の横顔に惹かれて、という方が強いだろう。その時は森見登美彦なんて聞いたことも見たことも考えたこともなかった。

 

さいころはそんなに本が好きではなかった。

図書館なんてお姉ちゃんみたいに眼鏡をかけて何処か暗くて教室の隅で絵を描いているような人間が行くところだと思っていた。本は嫌いじゃないし、文章だって。作文を書くのは寧ろ得意だ。だけれど本が持つ何処かジメジメした雰囲気があまり好きではなかった。

親に連れられてTSUTAYAなんかにいった時は、本売り場よりもキラキラした文房具のところへ足を運んだ。

 

だから森見登美彦と出会ったのは、森見登美彦自身のなんらかのパワーというよりかは、中村佑介の力だった。

 

買って、家に帰って、「明日の朝読書の時間に読もうかしら」なんて鞄に本を突っ込んで寝た。周りが児童書を読む中で、自分だけ大人びた本を読もうと思ったのだ。浅はか。今思えば非常に阿呆らしい。

多分周りを見たらもっと早くに大人向けの本を読んでいた人間がいたのかもしれないけれど、私は私自身にある程度の自信があったため、不都合な部分は見ていなかった。

因みに朝読書の時間というのは、私が通っていた小学校の取り組みの一つで、朝来てHRが始まる前に10分間ほど本を読まねばならないといったものだ。

 

 

さて次の日になって昨日購入した本を開いてみると、最初から手が止まる。

何故止まってしまったのかというと、

第一に言葉が難しい。夜は短し〜は森見節が炸裂している作品なので、独特のクセというか、読みにくさを孕んでいる。

第二に漢字が難しい。舞台が京都なので地名が難しいのと、「猥褻図書」や「偏屈王」などの難しい単語のオンパレードに呆気を取られてしまう。

第三に世界が難しい。その時分の私は全く京都に縁もゆかりも無かったので、舞台にしている土地があるのやらないのやら、全て妄想なのではないかと思っていた。

そんなように1ページ目から森見に圧倒されたわけなのだけど、朝読書の時間のために何冊も本を購入するのは億劫だったため、何だかんだ半年〜1年ほど繰り返し読み続けた。

最初は全く状況も場面も分からなかったけれど、何回も繰り返し読むうちに少しずつ状況が把握できるようになる。今思えば漢文の素読と似たようなことをしていたのだろうと思う。

 

全ての文章がわかりきった時にはスッカリ森見のファンになってしまい、「四畳半神話体系」「恋文の技術」と染まっていったのでした。

 

出会いで文章がいっぱいになってしまったので、後日時間があれば森見と文章と私について述べていきたい。

オールザベスト。