私は1人がいい

人が苦手なわけじゃないと思うけれど、根本であまり人と関わりたくないのだなと思う。

 

学校に行くのは好きだし、人と会うために化粧をするのも好き。今日の髪型可愛いね!って話しかけるのも好き。だけど疲れてる時とか、この時は単語帳を見る!って決めてるときはそれが本当に苦痛になってしまう。

 

基本的に個人が苦手とかそんなのは無いけれど、でもタイミング現れる人に対してはあまり好意的になれない。一回ならまあこんなこともあるよね、と思えるけれど、それが何回も繰り返されるとウンザリしてしまう。私は心が狭いのだろうか?

私の姿を見て、駆け寄ってきて、当たり前のように隣に座って、聞いてもいない話をし始めて、私の時間は今これに使いたくないのだけれど…と思うのは悪いことなんだろうな、一般的には。

 

私が好意を持っている人(例えばゼミの教授)相手ならば、私と帰る時間が重なった時に特急を使わず鈍行でいったりしてくれるのだけれど、私のために割いてくれた時間にとても感謝する。

でもそういった尊敬に近い好意を持った人或いは普段全く顔を合わせない人以外は鬱陶しく思ってしまう。こういうところが物凄く社会不適合だと思う。

 

せっかく空いている電車に乗れたのに、態々狭い2人がけの席にすし詰めになるのもちょっと損をした気がして苦手だ。基本的に私は物が多いという状況が苦手なので、これには本当閉口してしまう。

 

かくいう私も気分がいい時は人に話しかけて近くに座り始めたりする。本当に自分勝手だとは思う。

だから一概にそういった人を悪くは言えない。でも私でも一緒にいて「あ、これは人といるのを快く思わない状態なんじゃないか?」といったことは汲み取る。だから私はまだ許されると思うのだ。しかも長時間居座りそうだなという時はきちんと断りを入れるし、ある程度マナーに則って生きている。だから許される。(と思いたい。)

 

 

 

いや、でも思う!私が悩んでる一連のことにおいては、ある程度の距離感とかそういうものの欠損がややこしくしている!!

 

私が同学にバッタリ駅であって何となく隣の席に座るのと、私が教授とバッタリ駅であって何となく隣の席に座るのは文脈が違うんじゃないでしょうか。

立場とか、そういうものがあるよね?私は年功序列とかを物凄く考えてしまうのでそういうことを考えすぎてしまう。人によってはこういう考えをナンセンスと思う人もいるだろうけど、日本社会では多少あると思うし…ウーン

 

相手にハッキリ言えないから困るね。