序章:「推し」という概念

私には推しという概念がある。何かの間違いがあって相手から求婚されたならば結婚したいくらい好きだけれど事実そんなことあるはずないので1ファンとしての立場を貫くということをしている。推しの対象は森見登美彦であったりゼミの教授であったり妹であったりSNS経由で仲良くなった人であったりクラスメイトであったり同学であったり。恐らく周りがアニメキャラやアイドル、俳優を推すようなものであると思う。

推しを作ることによって私が相手をリスペクトしていることを相手にも周りにも示すことが出来るし、相手が好意的に見られていることを知ったなら自分のことも好意的に見てくれるだろう。推しという文化は良い風潮であると思う。

 

その推し方というのは純度に個人差があるだろう。

アイドルオタクならば円盤を買って投票する。バンドマンの追っかけなら推しに対して貢ぐ股を開く。小説家のファンならば単行本を買うサイン会に出向く。今まで述べたものは全て推されている対象に(金銭なり地位なり快楽なり)明確な利益があるだろう。

だけれど例えば「とあるスタバのお姉さんを推していて彼女を店頭で見かけるたびにスタバにお金を落としていく」、これも一種の推しであるけれどスタバのお姉さんにはあまり直接的な利益はないだろう。客が多少増えても給料の上がり下がりはお姉さんの働き次第だし、推しているから推されている対象が恵まれるとは言い難いと思う。もっと言ってしまえば、推されることでお姉さんが客に対して今まで以上にサービスをするかと言われると、それは断定できないだろう。大抵の人は顔を合わせる度に親密度が増すだろうけれど、例えば客がとても臭いだとかで生理的に拒否反応を起こしてしまうこともある。推しというシステムは結局対人関係の上で成り立っているので(推されている対象が2次元だったり雲の上の人なのであれば対人と言い難いけれど)見返りを求めてはいけない。結局はアガペーであると言いたい。

だから色々貢いだり性欲処理したりなんだりした挙句捨てられた(粗末に扱われた)際に相手のことを悪くいうのは推しではない。「奢ったり貢いだり色々したけど、やっぱ相手は可愛いし色々してあげてる時の私は楽しかったからまあいいでしょう!」と言えるものこそ推しだと思う。これは私が今まで推してきた対象に恵まれているからそう思うのかもしれないのであまり深く受け止めなくていいと思う。流し読んでほしい。

 

余力があれば後日ここから展開します。