憧れの具現

気付いたら「ブログ読んでるんだけど、」と言われることが多くなった。私にとって大きな存在ほど熱心に読んでくれているので面白いなあと思う。

 

落ち着いてきたからサクラ荘の話をしよう。

私が話すサクラ荘に出てくる人物は「シェアハウスであるサクラ荘の人々」なのか「主にサクラ荘に溜まっているであろうサークラ同好会員」なのか実に曖昧である。

サクラ荘で話しているからサクラ荘の人なのだろうなあと思えば只のサークラ同好会員といったこともある。そう思えばサクラ荘の人且つサークラ同好会員である人もいて、実に混沌。最近はサクラ荘自体がカオスな存在なので白黒ハッキリさせるのは無粋かと思って思考を停止させている。

 

話の流れから、読んでいる人にサクラ荘という存在は受け入れてもらえるだろうと思う。

ただしサークラ同好会はどうだろう…?

種明かしをすると、サークラ同好会とは「サークルクラッシュ同好会」のことで、字面から読み取れるくらいには如何わしい団体である。恐ろしい。

サークルクラッシュという現象を愛し、サークルクラッシャーで成り立つ団体…サークルクラッシャーで構成されている同好会ってそれは構成できるのでしょうか?実は私自身もよくわかってないので気になった人は検索をした方が賢明だと思う。

 

私がサークラ同好会、そしてサクラ荘を知ったのはとある男性と知り合ったから。その男性と知り合ったのは元々snsで繋がっていたとある青年が「この人と話したら面白そう」と紹介したから。その青年と知り合ったのはとある男性作家を好きになって京都が好きになったから。

そうです私は出会った男に人生狂わされガール。

 

なんとなく文章で今日は何か気持ちいいことがあったんだろうなあと察せられそうで良くない。感情を表に出すのはハシタナイです。

 

2017年6月、14月と京都に向かうたびにサクラ荘に行きたくなる体質になってしまった。

サクラ荘に何があるのか?

サクラ荘には面白い人が面白い談義を繰り広げている。

私は話すのがあまり得意でないので飛び交う言葉を聞くだけで特に何をするわけでもないのだけど、多分これが私の望んでいたもの 憧れていたものなんだろうなと感じたりする。

何もないことを言葉で構築しようとする。それに生産性があるか否かではなく、その場でおもちゃのように使うため。小学生が使っていたDSみたいな役割を言葉が担っている。無理して発言するわけでもなく、発言しなくてもフワフワ浮かんでいて良くて、すごく、すごく最高なの。私が思い浮かべる京都そのもの、と言っても過言じゃない。

多分普通に地方国公立大生をやっていたら一生味わうことが無かった。私だって多少は頑張っているんだと思う。

14000kmも突き動かす私の憧れへの執着。