出発前夜

大学に入ってからそんなに京都すきすきを前面に押し出してないつもりだけれど、やっぱり隠しきれないみたいです。

 

京都は良い。

森見登美彦の聖地ということもあるし、友達がいっぱいいるということもあるし、実家から離れているということもあるし、北海道にはない歴史があるということもある。

私が好まない人種の知り合いもいないし、過去のことを気に病む必要がない。

京都は救いの地だ。

 

私がまだ豆粒だった時、それこそ北海道という閉鎖された空間にいた時のことを思うとゾッとする。

当時は家から近い国公立大学だからといった安直な理由で北大に行きたーい!と言っていた。家の周りで全ての物事を済まそうとする思考は道外へ家族旅行をしない我が家では当たり前だったのかもしれない。未知のものに手を伸ばすほどネジが外れていたりしなかった。

それこそ高校に入って、当たり前のように道外び大学を志望校にしている人と絡んで初めて「そういった道もあるのか!」と思うようになった。本当に閉鎖空間は恐ろしい。

本州の人にこういうことを言うと一定数わかってもらえないのでちょっと寂しくなる。

 

京都着まで1日を切って私はすごくドキドキしている。行くたびに好きだなあ楽しいなあずっといたいなあと思ってしまう。

でも私の生活する町はここではないから、しっかり息を吸って、また潜水する日々。

人間プカプカ生きているだけではいられない。

 

私が京都に行くと言うと、親がちょっと嫌な顔を気がするのが1番の悩み。

1泊2日とか、2泊3日の時は友達の家に泊まるだなんて言うくらいにはなるべく伏せておきたいと思う。

全ては私が悪いのだけど、この気持ちを親に言うのも億劫で辛いから何も言わない。敢えて言わないことは美学。言わないのは酷いことだと言うのなら、私は死んだ方がマシだとさえ思う。

以前東京に行った時には着いてから東京にいると報告した。「なんで事前に言ってくれないの?」「やましいことがないなら言いなさい」私に疚しくないことなんてあるのか?と思う。

昔私の思うことを伝えようとしたことがあるんだけれど、相手は一切私の気持ちを汲み取ろうとしなかったから、もういいやと諦めてしまった。

 

京都に行ったらラーメンと抹茶と色々美味しいものを食べて、幸せに暮らしたいと思う。

嫌なことを忘れて、私を壊して、綺麗に洗って、また1から組み立て直そうと思う。

時は来た。