女の子 et cetera

女の子と話すことはあまりないなあ。私自身が女の子なので同調ばかりな気がするから、というのと単純に女の子を誘えないから。だけどたまに話すと内容が密で感情の暴力で楽しいと思う。ふと浮かんだdislikeを遠慮なく話せてしまうのも一興だと感じる。

それと反して男の人と会うときは性別に任せてしまう。可愛ければOK、話が多少つまらなくてもOK、そんな気持ちになるから。でも実はこれって大いなる怠慢なんです。よくないね。

 

今日は昔の話をいっぱいした。何が嬉しかったか、何が心地良かったか。悲しいというよりはお腹が暖かくなる気持ちがした。終わりだからって自分の中で思い出を消してしまうのはあまりにも勿体無いと思う。自分がそのとき悲しく感じた事柄も、経年変化で気持ちいいものになっている。一緒に歩いた風景が脳内にこびり付いている。

私が相手の1番好きだなあと思った部分。それは根が臆病なところなのだけど、お互いアルコールを摂取しないと進んでくっつこうとしないのがわたしにはとても可愛いと思えた。相手がそこまで執着していないということもあるけれど、そういう清さが心地よかった。私とは違うな。私も影響されて少しは綺麗にマトモになれるだろうか。

 

人の幸せとは。駅や大学、或いはスタバなんかで必要以上に0距離になることでしょうか。

人を好きだと思うことは不幸でもあるよね。報われるとは限らないし、好きすぎて思考が止まってしまうのは人間の正しい在り方でしょうか。恋愛をすると途端にツマラなくなる人(これは私のことです)は本当に恋愛すべきでしょうか。

そう考えると政略結婚って割と理にかなっているのかもと思う。好きでいっぱいになって冷静に物事を考えられないのは私たちの衰退を意味する。世界には愛しかないかもしれないけど、愛と恋は別物よね。

でも政略結婚であれ恋愛結婚であれ顔が好きって結構大きな問題だと思う。多少不細工でも自分が気に入るパーツがあれば、そこを拠点に相手を愛でられる。無ければ、1つ冷めて仕舞うとドミノ倒しのようになってしまうと思う。そういう意味で容姿の整った人は強い。

ボジョレー・ヌーボーじゃないけれど「今回が最高!」が何回も繰り返されるのは、自分の成長か衰退か。人間として進歩したから以前よりも質の良い相手を選別できたのか、頭が単純で過去のことを塗りつぶしてしまうから最高だと感じるのか。

頭良くあたまわるく生きたい。